神宮紙の歴史

神宮紙の歴史
日本画は、和紙に描くことが一般的となった今では驚かれるかもしれませんが、
大正以前、日本画規底材は絵絹が主流でした。
絵絹から和紙への変化したきっかけは、大正末期、明治神宮造営とともに建設される
聖徳太子記念絵画展壁画のための基底材として、丈夫で耐久性に優れた専用の和紙の
開発が迫られたことです。この和紙を抄造したのが、土佐の紙漉き職人中田鹿次です。

大正13年1月13日、縦3m、横2.7mの巨大日本画用紙第一号は、純白の幕を張られた
特別な紙漉き場において中田鹿次と名人手漉き職人によって抄造。
後に「神宮紙」と呼ばれるようになりました。
しかしながら輝かしい足跡を残した神宮紙は、鹿次没後、工場廃業に伴い世間から
忘れ去られるようになりました。

先代尾﨑金俊は、同郷で、同じように巨大和紙作りに携わる者として、
長年眠っていた「神宮紙」の復活に試みました。

本名/千頭鹿次
明治5(1872)年~昭和25(1950)年、高知県伊野町生まれ。早く父親を亡くし
幼いころから様々な職に就き家計を支える。兄が東京で紙商を始めたことを機に明治33年、
伊野町にて中田製紙工業を設立。手漉きによる良質な和紙開発にこだわる。
各種天籟会で受賞を重ね大正3年より皇室へ改良書院紙である八千代紙を献上。
大正13年、神宮紙を開発。日本画に大きな影響を与えた。
近代日本画発展とともに
  • 当社の高知麻紙は、著名な先生方、大学の先生方にご愛用いただいております。
  • 吉田紙(純雁皮紙)…吉田善彦先生
  • 大判土入り純雁皮…金峰山本坊の障壁画 (福井爽人、手塚雄二、宮廻正明各先生奉納)
  • 大判高知麻紙…法隆寺壁画『額装・絵画修復店扱』(東山魁夷先生奉納)
  • 大判高知麻紙…福王寺法林先生愛用
  • 大判高知麻紙 特別漉き自然晒…永平寺、鶴岡八幡宮、智積院他
    (田渕俊夫先生、墨絵・襖絵奉納)
    神宮紙… 興福寺 柱絵(畠中光亨先生)
  • 襖絵・壁画用紙を造る
    法隆寺・金峯山時・永平寺・智積院講堂・各総本山奉納その他寺院多数
    (特別漉き最高級紙使用)
    襖絵用紙を鎌倉鶴岡八幡宮奉納(特別漉き最高級紙使用)